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2008年9月 8日 (月曜日)

くるみクラブ その1

 くるみクラブのオーバー40チームが北海道にやってきます。

 

 くるみクラブは、中央大学の体育実技を長く担当した桑原寛樹先生のラグビー授業を受けた学生の手で発足、のちに大学の枠を超えて学生、社会人が集うオープンなクラブとなりました。最盛期には学生だけで10チームを抱えていたのをはじめ、宮城県蔵王町にグラウンド、クラブハウスを持つなど、企業や大学の枠を超えた先駆的なクラブとしてその活動は日本のクラブ関係者の憧憬の的となってきました。また、早くから陸上トレーニングを取り入れ、鍛え抜いたフィットネスで徹底的にパスをつなぐラグビーは、くるみラグビーの真骨頂といえます。近年は桑原先生の大学教官退官に伴い、学生メンバーが以前ほど集まらなくなったとは言い、モール中心のパワーラグビーが主流となるにつれて、往年の輝きにかげりが出ていますが、その足跡はだれにもまねができないものです。くるみの北海道遠征を機会に、指導者の桑原先生の著作「くるみ実る日」(中央大学出版部)を基にくるみクラブの物語を紹介したいと思います。

 

くるみ誕生

 くるみクラブは、中央大学やエーコンクラブで主将を務めた経験を持ち、中央大学の体育教官であった桑原先生が1964年に、2年生を対象にした体育授業のラグビー担当になったことから誕生しました。

 

 中央大学では、1年生は「基礎体育」としてスポーツ一般に触れ、2年生は「応用体育」として一年間、特定の競技に取り組むシステムでした。当時の体育授業のラグビーは、きつい、汚いというイメージからテニスやバスケットの抽選から外れた学生がやむを得ず履修するのが実態で、「不人気科目の代表例」だったといいます。

 

 桑原先生は、「くるみ実る日」の中で書いています。

 「通り一遍の授業ではなく、ラグビーの楽しさ素晴らしさをぜひとも理解させたい、それが教師としての使命だと思っておりました。それには、私の教師として、また、人間としての力量が問われます。わたくしは、全力で彼らにぶつかっていきました」「ラグビーの授業で教えたかったことは、単なる技術ではありません。ラグビーを通じて、団結してプレーする素晴らしさとか、仲間をカバーする心とかいったものまで教えることでした」

 

 「最初の時間に必ずやらせたことは、小グループ分けをし、そのグループを組む仲間の名前をお互いに覚えさせることから始めました。…次に『ミスをきにしなくてもいいぞ』と励ましました。その代わり、ミスをしたら必ず後ろに回って落ちたボールを拾いに行くことを徹底させました。ミスをしないということはたとえ優秀な選手であっても難しことですが、カバーに回るということはどんな初心者でも出来ます。これはラグビーにおいてだけでなく、人生においてとても大切なことです」

 

 そして7月の夏休みに、学生30人が参加してくるみ誕生につながる北志賀合宿が行われました。翌年の1965年に授業でラグビーをした30人が中心となり、くるみクラブが誕生しました。クラブ誕生につながった合宿地の信州に敬意を払い、信州特産の「くるみ」から名付けたものでした。エンブレムは、割ったくるみの左右対称の実を二人のチームメートが肩を組んだ姿を見立てたデザインとしたもの。みんなが助け合い、協力し合うラグビーを目指す「くるみクラブ」を表したものといいます。

 

発足2年目のクラブが国立で試合

 

 くるみクラブの一期生にはラグビーの経験者がいませんでした。しかし、クラブ発足の翌年の1966年、クラブの一期生が4年生になった年の9月20日、、名門エーコンクラブとの定期戦が実現します。当時のエーコンは日本代表級の選手が何人も所属していました。エーコンのメンバーが秩父宮ラグビー場の建設が携わったことから、当時のエーコンの試合は秩父宮で行われることが決まりになっていました。その後のくるみとエーコンの定期戦の始まりとなるものです。

 

 しかし、出来たばかりの素人集団でしたが、「学生達に、何としても質の良い本物のラグビーチームとの交流の醍醐味を経験させてやりたい」という桑原先生の思いが通じました。しかし、学生が秩父宮ラグビー場に出向くと、「出来て2年目のチームがここでプレーできるわけがないだろう」と笑われたそうです。憤慨した桑原先生は「それなら秩父宮ラグビー場より大きなグランドでやってやろうじゃないか」と大学OBがいる国立競技場の管理協会に行き、照明、電光掲示板を含めて一晩国立競技場を8万円で借りる交渉をまとめてきたそうです。

 

 この試合は国立競技場での初のラグビーの試合でした。早明戦でも日本選手権でもなく、くるみクラブの試合が国立競技場での初めてのラグビーの試合となりました。当時のグラウンドにはラグビーポールを立てる穴がなく、グラウンドに掘ってポールを立てた時には管理の人が飛び出してきたそうです。

 

 1枚100円の入場券をクラブ員が販売。観衆3000人近くが入りました。午後5時半からBチーム、Aチームの順で2試合を行い、日本代表クラスの選手がそろうエーコンに対してくるみは善戦しました。Aが15-28で、Bで10-22ともにエーコンに敗れましたが、どちらの試合もくるみはよく走り、よくタックルし、よくフォローに回ったといいます。

 

 「わたくしが初めて体育実技ラグビーの授業を担当し、その学生達と夏合宿に行った。それが契機となって、くるみクラブが結成された。その学生達が国立競技場でエーコンクラブと夢の対戦をし、本物のラグビーを経験することが出来た-。あっという間の二年間でした」

 桑原先生の回想です。

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