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2008年9月29日 (月曜日)

敗戦

E0928lost  28日は東日本トップクラブリーグの試合を見ました。バーバリアンズの対戦相手は、東京の駒場WMM(ウオーターメロンマン)でした。インジュリータイムまで6点をリードしていましたが、立て続けに2トライを奪われ、29-37で逆転負けしました。

 大きく選手が入れ代わったチームは、やや経験不足のようでした。攻め込んでは肝心のところで慌ててミスをして好機を潰してしまう場面が目立ちました。東日本クラブ選手権で苦闘していた時代を思わせるようなような試合展開でした。どこの選手でトライを取りに行くかが明確でなく、とても慌ててプレーをしていたように見えました。思うようにリードが広げられずに、焦ってプレーをしてミスを繰り返し、体力を使い果たしたように見えました。最後は駒場の勢いが完全に上回りました。

 高齢化が言われたAチームですが、今回のチームは平均年齢26歳で、これからのチームです。今後に期待したいところです。

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2008年9月26日 (金曜日)

久しぶりの雨

 昨日(25日)は、定山渓にも久しぶりの雨が降ったようです。実に6日以来、19日ぶりの雨でした。きょうも降っているようですrain

 定山渓の気温はきょうの2時ごろで13度、4時半で9度にまで下がっていました。こんな日に作業をしたあとは温泉にでも入らなければやってられないような天気です。冬も間近に感じられる冷え込みの中なので、とても干天の慈雨とまでは言えないでしょうが、何よりも良かったです。

 

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2008年9月25日 (木曜日)

紅葉

G0924aki2  定山渓はもう秋です。13日のくるみとの試合のころは青々していたクラブハウス周りの木々も色づき始めました。10日ほどしか経っていないのに、季節の移ろいは早い。夏は遠い昔の記憶となってしまいました。

 24日は、夕方から仕事があったので、朝7時前に家を出て苫小牧に向かいました。寒気の到来で、一気に気温が下がりました。紅葉も進んでいます。クラブハウスの周りの白樺は黄色く、銀杏はもっと鮮やかに輝いていました。

G0924aki1  グラウンドに着いていの一番にしたのが、野球場の内野の刈り込みです。メーングラウンドは小雨でほとんど枯れてしまいましたが、こちらは小面積で地道に散水をしたせいで何とか緑を保っています。刈り込みのあとは、野球場内野とメーングラウンドの肥料散布をしました。12-12-12の高度化成を野球場に3袋、メーングラウンドに8袋撒きました。2時間弱で終えて、サンクスの万谷さんにタイヤショベルを借りて、メーングラウンドの22㍍ラインと22㍍ラインの間に目土を入れました。何度も書いていますが、機械力は凄い。黒土の山2つがあっという間に片づきました。仕上げに10月中に残りの目土を入れたいところですが、この日の肥料撒きと目土入れで、今年の作業はほぼめどが付きました。あとは芝の伸び具合を見ながら1週間か10日に一回、刈り込みをして終わりです。少しだけ肩の力が抜けました。

 去年は10月20日にエアレーションと目土入れをしました。今年は時期も良かったと思います。散水設備が万全となる来年が楽しみです。

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2008年9月22日 (月曜日)

略奪

 作業日誌です。19日に定山渓に行きました。野球場外野のエアレーションと、内野に水を撒きました。

 グラウンドに着くと、グラウンドの脇のヤマブドウがなっていることろに、4人組がいました。高いところに下がっているブドウの実を取るために柄の先にハサミをつけた本格的な装備を持った人たちでした。私がトラクターでエアレーターを引く姿を見てもあいさつもなし。30分ほどで立ち去りましたが、何も残っていませんでした。

 怒りの葡萄ですpout

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2008年9月17日 (水曜日)

祭りのあと

 くるみクラブの定山渓遠征が終わって、少し気が抜けました。初めての企画は、準備を含めて何かと気を遣うものですが、今回は特別に気持ちが張りつめるわけでもなく、自然の流れの中で終わってしまったという感じです。年の功といいますか、50歳に近くもなれば、物事というのはこういう風に流れていくものなのでしょうか。

 くるみクラブの桜井さんが旅行記をご自身のブログ「道楽者は行く!」の中で連載されています。軽妙洒脱な筆致はなかなかのものです。、3日間、行動をともにした私も思わずにやりとさせられてしまいます。バーバリアンズのメンバーとしては、ここまで持ち上げられると、恥ずかしい気もしますがcoldsweats01

 ところで、きょうはマサアキくんに定山渓に行ってもらいました。祭りのあとは、大干ばつの危機です。メーングラウンドは、芝の生長が止まり、水を撒いた一部を除いて枯れてきました。作業は芝の刈り込みはやらず、散水と野球場の外野のエアレーションだけしたそうです。芝の芽も枯れる一歩手前で、水を撒いてかろうじて命をつないだ感じだったそうです。

 くるみの遠征前から好天が続いていましたが、その余韻といってはなんでしょうが、秋晴れの日が続いています。天気予報では、来週の水曜日まで雨マークがありません。6日の雨を最後に連続10日間も晴天が続いています。今日も晴れ、明日から火曜日までさらに6日間も晴れが続く予報です。不謹慎ながら、早く台風が来て欲しいところです。

 グラウンドの井戸掘りをしている業者さんの話によると、3本目の井戸掘りで苦戦しているそうです。クラブハウス側の1号井は毎分100㍑を超え、中央ヤグラ横の2号井は同80㍑前後とまずまずでしたが、野球場側の散水役も兼ねる3本目の井戸は、車庫の横、メーングラウンドの野球場側のヤグラ近く、さらにメーングラウンドの野球場寄りの3カ所を試掘しましたが、厚い岩盤に当たって難航しているそうです。

 野球場側は岩盤がせり出して、クラブハウス側に急激に沈み込む地層になっているらしく、よい地下水脈を当てるのは難しいそうです。きょうの午後は、水脈の薄い層から水が出た野球場車庫からポンプアップを試みていたといいますが、どうなるでしょうか。見た感じでは、水道水よりは水量は多そうということでしたが、業者さんは「井戸の周りの土を固める薬剤を含んだ水を入れたりして、何度か水の出し入れをして、透明な水が出るまで分からない」とのことで、野球場の水問題は結構、難しそうです。

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2008年9月15日 (月曜日)

くるみが来た!

K0913all  くるみクラブのオーバー40チームが来道し、13日に定山渓グラウンドでバーバリアンズのオーバー35歳チーム+2と交流試合をしました。試合は前半からくるみがランニングラグビーでトライを連取、後半にバーバリアンズが激しく追い上げて、好試合となりました。結果はトライがくるみ5本、バーバーズ4本で、くるみの勝利に終わりました。バーバーズの平島さんの親子トライもあり、大いに盛り上がりました。

K0913af0  くるみのメンバーは総勢23人。東京はじめ、大阪、さらにシンガポールの出張からそのまま駆けつけた人もいたそうです。試合後はバーベキュー、近くの温泉での入浴を挟んでの二次会と、深夜K0913af2 までラグビー談議に花が咲きました。この日のためにバーバリアンズが東日本クラブ選手権でくるみにクラブに逆転勝ちした当時の主力選手の三宅K0913af1 さんが別海から、小林さんが帯広からそれぞれ駆けつけ、当時のくるみの主将だった阿部さんと当時はバーバーズに所属していた有馬さんを交えて話が弾んでいました。

 くるみ一行は全員、バーバーズ側は谷黒、宮原、西野、小林、三宅がクラブハウスに宿泊しました。

K0914tarumae  翌14日は、くるみのメンバーの大半は、札幌近郊を観光を楽しんで後、ススキノの夜を満喫して15日に帰られました。バーバーズのメンバーは、トップリーグの手伝いで14日から札幌月寒ラグビー場に行きましたが、私だけ桜井さん一行の運転手として、支笏湖方面を周遊。樽前山登山、いとう温泉に立ち寄るなどして、苫小牧に戻りました。

 今回のくるみの北海道遠征は、くるみの飲み会の最中に私にかかってきた電話をきっかけに、とんとん拍子で話が進み、実現しました。遠方の土地への遠征ということでしたが、
メンバー集めに奔走していただいた桜井さんはじめ、くるみクラブのみなさん、そして、細かな段取りなしに成り行き任せで進めてしまう私の話に耳を傾けて、受け入れの準備をしてくださったバーバーズの仲間に感謝をしたいと思います。ありがとうございました。

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2008年9月11日 (木曜日)

地震

 今朝、地震がありました。マンションのエレベーターに乗っていたときに地震があったようです。エレベーターに乗って、分かりませんでした。妙に揺れるなと思っていましたが。エレベーターを出ても体の揺れが続いていたので、首の不調がついに三半規管に来てしまったのか、と思って青くなりました。メニエル症候群か何かの症状が出たのではと真剣に思いました。

 そのまま、車に乗って近くのスーパーに着くと、館内放送で「先ほどの地震の津波警報は…」と流れたのを聞き、地震があったことを知りました。少しほっとしましたが、それにしても妙な揺れ方でしたね。

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収穫の秋

G0909bg_2  9日は定山渓で、刈り込みと水撒きをしました。

 グラウンドに着くと、中央のヤグラの横で、井戸のボーリング作業をやっていました。前日から掘っているとのことで、午後に地下13㍍当たりG0909ido_3 の水脈に当たったそうです。業者さんによると、この当たりは白糸川に向かって山から谷に下る形で水脈が走っているそうです。グラウンドの当たりでは地下3㍍にひとつ水脈があり、その下にやや硬い層があって、その下にもう一つの水脈があるという話でした。パークゴルフ場ある井戸は、上の水脈を使ったもののようです。

 さて、秋は移動性の高気圧と低気圧が交互に訪れて、いい感じで雨が降るはずなのですが、このところは連日晴天続きです。非常に心地よいのですが、週末の後も晴れ続きの予報で、芝生にとっては厳しい日照りとなりそうです。ポンプと大型スプリンクラーが届くまでは、これまで通り、小型スプリンクラーでこまめに散水ということになりそうです。

 グラウンド横をのぞいてみると、今年もヤマブドウがありました。ちょうど松の木をヤマブドウのツルが覆うようになっているところでは、ブドウ棚のように鈴なりになっていました。もちろん収穫しました。15分ほどでポリ袋一杯に2㌔ほど穫れました。さっそくブドウジュースにしました。

G0909jam  7月に仕込んだイチゴ酒ができあがりました。イチゴの甘い香り漂う何とも不思議な感じのお酒です。辛党には合わないかもしれません。取り出した実でジャムをつくってみました。酒から出したときは、実は白く脱色したような姿でしたが、砂糖をまぶして煮込むと、不思議なことに市販のジャムと同じ赤色がよみがえってきました。すごいものですね。ただ、初めてつくったため、砂糖を大量に入れて極甘のできとなりました。出来たのはごく少量でした。次は仕込み中のハスカップでジャムをつくってみようと思います。今度は甘さ控えめの大人の味を狙います。

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2008年9月 8日 (月曜日)

くるみクラブ その2

 蔵王クラブハウスの建設

 

 1965年のくるみクラブの結成からエーコンクラブとの定期戦の実現の後、くるみクラブは大きく飛躍した。桑原先生の体育授業は法学部、商学部、経済学部、理工学部で行われ、学部ごとに5チームに編成されていたのが、69年になると学部の垣根を越えたチーム編成となり、8チームに拡大しました。クラブのエネルギーを生かそうと桑原先生が考えたのが、クラブの自前のグラウンドとクラブハウスを持つことだった。

 

 そして1971年、日本のクラブで誰も出来なかった夢が実現した。宮城県蔵王町に、森林組合から土地を借りる。グラウンド3000坪、クラブハウス2000坪、駐車場500坪の合わせて5500坪。そして、クラブ員の手作りでクラブハウスを建てた。

 

 5月から作業を始め、建築工事は土台のブロック積みから上物の組み立てまで学生達が自前でやりました。業者が施工すれば3500万円かかる見積もりだったが、学生がアルバイトをして、OBがボーナスを出して、資金850万円を集めた。1971年8月21日に蔵王クラブハウスが完成。グラウンド、宿泊棟3棟、炊事場、風呂場、洗面所、トイレ、中庭の食堂を兼ねたキャンプファイアー場を備えたものだった。

 

 ほぼ時を同じくして、中央大学の男子に限られていたメンバーシップを他大学の学生や女子学生に開放するオープン化が実行された。クラブを支える心技体がそろい、クラブの魅力がさらに人の輪を広げることになってつながっていく。

 

 ステータスとしてクラブハウスを持つということだけではなく、自前のグラウンドとクラブハウスを使った合宿は、共同生活を通じてチームワークや仲間意識を育てる教育の場となった。このことは桑原先生が強調してきた寮での共同生活の重要性とともに、くるみクラブの活力を生み出す車の両輪となりました。

 

 くるみの合宿は、猛練習やしごきなどの体育会的体質とは無縁なものだそうです。そこには普通の体育指導者とは一線を画した、桑原先生ならでは人間観、ラグビー観、トレーニング観の実践があったのです。

 

 「技術優先、必勝主義には目もくれず、クラブの中身の充実に重点を置き、そのための『環境』作りに力を注ぎました。誤解を恐れずに言えば、よい環境があれば人間のもっている良い資質が黙っていても大きく育つ、これが教育の基本原理の一つであると、私は信じています」

 

 寮、合宿での共同生活

 

 桑原先生は、体育授業でラグビー担当する前に、中央大学ハンドボール部の指導、社会人野球本田技研のトレーニングコーチを務め、実績を上げました。その中で強調しているのが、寮での共同生活の重要性です。1959年の中央大ハンドボール部監督就任で、何よりも先にアパートを借りて、炊事場、食堂を設けるだけの共同生活の場となる寮の整備を手がけたそうです。

 

 著書「くるみ実る日」でこう書いています。「キャンプや寮での共同生活は、トレーニングとは無関係ではなく、わたくしのトレーニング理論でいう『応用トレーニング』の一つに当たります。一般的にトレーニングは、技術的、体力的なものをいいますが、応用トレーニングとは、例えばハンドボールの練習に他の球技や陸上競技を取り入れたりすることをいいます。そのほか、こうした共同生活によるチームワーク作りなども入るのです」

 

 「寮生活」というのも、くるみクラブの大きな特徴です。わたくしの教育の中核にあるのが、寮生活を基本とする個人と個人の結びつきです」

 

 「なぜ寮生活が大事なのでしょうか。自由と自治の訓練です」「共同生活にあたっては、『わが自由と同じように他人の自由も尊重すべきである』から他人を思いやる。これが大原則です」「他人が見ていようがいまいが、他社の立場への思いやりや配慮を行う、また、黙って自分のやるべき責任を果たす。それを自然なものとなるまでに身につけた人間。これがラガーマン的ジェントルマンです」「自分の義務を黙って淡々と果たす、他人への思いやりをさり気なく行う、これがスマートということです。このような自己自治が行われるところでは、自然と秩序も生まれてきます。それは、上からの押しつけではなく、そのような個人の集団の中から自然とわき上がってきたものなのです。明るい楽しさの中におのずからなる秩序、これがくるみクラブの寮やクラブハウスの目指す姿なのです」「そして、食事作りや掃除当番などの共同作業を通じて、自分の責任をきちんと果たすことや他人とのチームワークを学び、また、人と人とのつながりや友情が生まれるのです。…。くるみクラブの寮生活とは、このような自分で自分を教育してゆく実践の場なのです」

 

 「蔵王クラブハウスを使った夏と春の合宿も、集団生活の自治の訓練の場です」「運動部の合宿のように『猛』練習はしません。普段から自主トレや節制を心がけていれば、合宿だからといって日常と変わったことをする必要はないからです。合宿とは、メンバー相互の友情を深めるためのものです。心を開いて友人とラグビーや人生や学生生活などを語り合う場であり、仲間との友情を培う場でなくてはならないのです」

 

 先日見たラグビートップリーグのクボタ-ヤマハ戦で、クボタが共同生活の取り組みやチームワーク作りについて意識的に取り組んできたことが紹介されていましたが、半世紀も前のことでした。

 

 初心者を大切にする心

 

 それにもう一つ。くるみクラブが初心者を大切にしたことです。前回で書きましたが、エーコンクラブと対戦した第1期生は全員がラグビー初心者でした。2期生も、3期生も同じだったようです。その後もクラブが実力をつけた後も、クラブの姿勢は変わりませんでした。私が仲間に加わらせていただいた1990年代の前半の時でも「最近はラグビー経験者が増えてくるみらしさが消えてしまっている」という声がよく聞かれました。

 

 最後に「くるみ実る日」からの引用です。

 

 「初心者をたいせつにするというのも、くるみクラブの大きな特徴のひとつです。…ラグビーの特性は、体の大きな者も小さな者も、足の速い者遅い者、すばしっこい者、どんな人でも活躍できるところにあります。たとえ下手なチームメイトが居ても、そういうプレヤーがいることを前提にゲームを組み立ててゆかなくてはなりません」「体の小さい者や足の遅い者がいてもかまわないというのが、私のラグビー観なのです」

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くるみクラブ その1

 くるみクラブのオーバー40チームが北海道にやってきます。

 

 くるみクラブは、中央大学の体育実技を長く担当した桑原寛樹先生のラグビー授業を受けた学生の手で発足、のちに大学の枠を超えて学生、社会人が集うオープンなクラブとなりました。最盛期には学生だけで10チームを抱えていたのをはじめ、宮城県蔵王町にグラウンド、クラブハウスを持つなど、企業や大学の枠を超えた先駆的なクラブとしてその活動は日本のクラブ関係者の憧憬の的となってきました。また、早くから陸上トレーニングを取り入れ、鍛え抜いたフィットネスで徹底的にパスをつなぐラグビーは、くるみラグビーの真骨頂といえます。近年は桑原先生の大学教官退官に伴い、学生メンバーが以前ほど集まらなくなったとは言い、モール中心のパワーラグビーが主流となるにつれて、往年の輝きにかげりが出ていますが、その足跡はだれにもまねができないものです。くるみの北海道遠征を機会に、指導者の桑原先生の著作「くるみ実る日」(中央大学出版部)を基にくるみクラブの物語を紹介したいと思います。

 

くるみ誕生

 くるみクラブは、中央大学やエーコンクラブで主将を務めた経験を持ち、中央大学の体育教官であった桑原先生が1964年に、2年生を対象にした体育授業のラグビー担当になったことから誕生しました。

 

 中央大学では、1年生は「基礎体育」としてスポーツ一般に触れ、2年生は「応用体育」として一年間、特定の競技に取り組むシステムでした。当時の体育授業のラグビーは、きつい、汚いというイメージからテニスやバスケットの抽選から外れた学生がやむを得ず履修するのが実態で、「不人気科目の代表例」だったといいます。

 

 桑原先生は、「くるみ実る日」の中で書いています。

 「通り一遍の授業ではなく、ラグビーの楽しさ素晴らしさをぜひとも理解させたい、それが教師としての使命だと思っておりました。それには、私の教師として、また、人間としての力量が問われます。わたくしは、全力で彼らにぶつかっていきました」「ラグビーの授業で教えたかったことは、単なる技術ではありません。ラグビーを通じて、団結してプレーする素晴らしさとか、仲間をカバーする心とかいったものまで教えることでした」

 

 「最初の時間に必ずやらせたことは、小グループ分けをし、そのグループを組む仲間の名前をお互いに覚えさせることから始めました。…次に『ミスをきにしなくてもいいぞ』と励ましました。その代わり、ミスをしたら必ず後ろに回って落ちたボールを拾いに行くことを徹底させました。ミスをしないということはたとえ優秀な選手であっても難しことですが、カバーに回るということはどんな初心者でも出来ます。これはラグビーにおいてだけでなく、人生においてとても大切なことです」

 

 そして7月の夏休みに、学生30人が参加してくるみ誕生につながる北志賀合宿が行われました。翌年の1965年に授業でラグビーをした30人が中心となり、くるみクラブが誕生しました。クラブ誕生につながった合宿地の信州に敬意を払い、信州特産の「くるみ」から名付けたものでした。エンブレムは、割ったくるみの左右対称の実を二人のチームメートが肩を組んだ姿を見立てたデザインとしたもの。みんなが助け合い、協力し合うラグビーを目指す「くるみクラブ」を表したものといいます。

 

発足2年目のクラブが国立で試合

 

 くるみクラブの一期生にはラグビーの経験者がいませんでした。しかし、クラブ発足の翌年の1966年、クラブの一期生が4年生になった年の9月20日、、名門エーコンクラブとの定期戦が実現します。当時のエーコンは日本代表級の選手が何人も所属していました。エーコンのメンバーが秩父宮ラグビー場の建設が携わったことから、当時のエーコンの試合は秩父宮で行われることが決まりになっていました。その後のくるみとエーコンの定期戦の始まりとなるものです。

 

 しかし、出来たばかりの素人集団でしたが、「学生達に、何としても質の良い本物のラグビーチームとの交流の醍醐味を経験させてやりたい」という桑原先生の思いが通じました。しかし、学生が秩父宮ラグビー場に出向くと、「出来て2年目のチームがここでプレーできるわけがないだろう」と笑われたそうです。憤慨した桑原先生は「それなら秩父宮ラグビー場より大きなグランドでやってやろうじゃないか」と大学OBがいる国立競技場の管理協会に行き、照明、電光掲示板を含めて一晩国立競技場を8万円で借りる交渉をまとめてきたそうです。

 

 この試合は国立競技場での初のラグビーの試合でした。早明戦でも日本選手権でもなく、くるみクラブの試合が国立競技場での初めてのラグビーの試合となりました。当時のグラウンドにはラグビーポールを立てる穴がなく、グラウンドに掘ってポールを立てた時には管理の人が飛び出してきたそうです。

 

 1枚100円の入場券をクラブ員が販売。観衆3000人近くが入りました。午後5時半からBチーム、Aチームの順で2試合を行い、日本代表クラスの選手がそろうエーコンに対してくるみは善戦しました。Aが15-28で、Bで10-22ともにエーコンに敗れましたが、どちらの試合もくるみはよく走り、よくタックルし、よくフォローに回ったといいます。

 

 「わたくしが初めて体育実技ラグビーの授業を担当し、その学生達と夏合宿に行った。それが契機となって、くるみクラブが結成された。その学生達が国立競技場でエーコンクラブと夢の対戦をし、本物のラグビーを経験することが出来た-。あっという間の二年間でした」

 桑原先生の回想です。

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寂しい

 7日の日曜日は定山渓で、JR北海道とのヒグマリーグの試合がありました。主力となるオーバー35のメンバーで集まったのは、首の不調で見学の若井さんを入れても9人。2週続けて人手不足に陥りました。この日、北海道トップクラブリーグの試合があったABスコッドでも、助っ人に出てくれたのはフォワードばかりで、岩本、津谷のセンターコンビ、関口のウイング、平塚のスクラムハーフという豪華な布陣となりました。

 やり慣れないポジションというのは、すぐにぼろが出るもので、5本-1本くらいの大差で負けました。

 それにしてもおじさんチームは突然のメンバー不足です。8月のオーバー35大会の時には、結構集まっていたのですが、どうしたのでしょう。ABスコッドも人が少ないようですが、とても以前のように1日に3試合を出来ないような状況なのが寂しく、心配です。

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2008年9月 5日 (金曜日)

芽生え、再び

G0904bg  4日はよい天気でした。いつもは寒い苫小牧では、今夏の最高気温28・4度を記録しました。夜勤明けでしたが、9時前にはいつになく暑い苫小牧を後にして、定山渓に向かいました。

 観光バス3台が山道をのろのろ走って先をふさいでしまったので、ふだんより時間かかって、11時前に着きました。苫小牧は夏の雰囲気がありG0904bluesky ましたが、定山渓は空が高く、秋の雰囲気でした。気温は25、6度という感じでした。

 野球場内野をのぞくと、芝の芽がかなり出ていました。そこそこ隙間を埋めてくれそうな感じの場G0904bggrass_2 所もありましたが、全く芽が出ていない場所もありました。産毛のような芝の芽を見て、少し内野の刈り込みを休むことにしました。春の造成時に比べると、気温が高いせいなのか、芽の生長が速いような気がします。か細いものですが、4センチほどになっているものもありました。とりあえず、一週間から10日ほど様子を見て、次の刈り込み時期を考えます。

 メーングラウンドの刈り込みをして、4分の1ほどやり残していたエアレーションをしました。枯れてしまった芝生のマットを壊して、新しい芝が入り込めるように時間を掛けて、トラクターで引きました。100㍍に5分ぐらいかかるほどのスピードです。グラウンド4分の1に2時間もかかりました。9月は、このエアレーションをしっかりやって、20日ごろに目土を入れたいと思います。

 

グラウンド整備は秋が勝負です。

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2008年9月 3日 (水曜日)

 きょうはいい雨が降ったようです。小金湯のアメダスポイントでは10ミリ以上降ったようです。25日に種を撒いた芝もそろそろ芽が出そろってくるころです。恵みの雨になったと思います。

 明日は定山渓詣でです。

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2008年9月 2日 (火曜日)

じゅうりん

 8月31日の日曜日、おじさんチームは北大Bチームと試合をしました。フッカーは前半が札幌高裁判事の矢村さん、後半は大学生の飴谷君というバーバリアンズらしいメンバーでしたが、若さとスピードの北大に文字通りじゅうりんされました

 たくさんとしか、言いようがないほどトライを奪われ、こちらは無得点に終わりました。唯一のチャンスはゴール前の5㍍ラインアウトでしたが、ボールを確保したまではよかったのですが、攻め切れませんでした。前の試合でAチームも北大に大敗して、おそらく2試合で合わせて、100点ゲームと完封負けだったのではないでしょうか。

 試合前に野球場内野の刈り込み、試合後にメーングラウンドの刈り込みをしました。25日撒いた芝が早くも芽を出していました。明日(3日)に雨が欲しいところです。

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